国際交流の旗手

私の人生とラテン・アメリカ


三上賢悦(1963年卒業)

  私が考える「国際交流」とは、「国際間の異文化や異なったシステム等の相互理解と交流」と思っているので、以下、その考えに基づき、「私の人生とラテン・アメリカ」について述べます。

1.子供時代の夢
  私は、敗戦の年(1945年)に国民学校に入学し、食と住を求めて、1〜2年生で3回の転校を余儀なくされたが、父が船乗りであったことも関係し、2年生の時からは富山県の古い港町で生活した。毎朝、高台より、入港中の船舶を観るのが楽しみで、時折入港する外国船等を訪問しながら、「将来は、この船のようにいろいろな外国を訪問したいなあ」との夢とロマンを抱いて生活していた。海と港と船に育まれた少年時代をおくった。

2.同志社で二つの異文化に出会う
  「将来は貿易の世界で活躍したい」との希望をもって、1959年4月、同志社大学商学部に入学したが、入学後のチャペル・アワーで、それまでの人生で、私が全く意識しなかったキリスト(教)との出会いがあった。
  それ以降、私は、「キリスト(教)とは何ぞや?」という疑問符から脱却できず、宗教センターで開催されていた三つの聖書公開講座でキリスト教について勉強したが、当時の私にとって、キリスト教は異文化そのものであった。
  また、卒業後は商社やメーカーの貿易部門等で勤務する目的で、スペイン語を選択したが、教師は、スペイン文学の大島先生と、後に東京外国語大学教授になられた長南 実先生であった。何回も試験で落され、4年間勉強する結果となったが、スペイン語を勉強することによって、それまで私が全く知らなかったラテン・アメリカとの出会いが始まった。
  特に1959年に勃発したキューバー革命等のインパクト等も関係し、ラテン・アメリカの歴史に対する関心が高まり、現在でも、長南先生が10年の歳月をかけて翻訳された「Historia de las Indias」を勉強中であるが、その契機は、同志社でキリスト教とスペイン語と云う新しい二つの異文化に出会ったことに拠っている。

3.アーモスト館の「Liberal Arts」と国際精神
  私は、“学業成績の良い学生”ではなかったが、アーモスト館(Amherst House)の寮生として、1960年4月〜63年3月まで、アーモスト大学代表オーテス・ケーリ館長の下で、当時、恐らく日本で最も恵まれた学生生活を送ることができた。
  3年間にわたるケーリさん一家やアーモスト大学フェロー、寮生達との裸の共同生活を通じた「Liberal Arts」は、枚挙に暇がないほど多種多様な国際プログラムであったが、このアーモスト館の国際精神の原点は、1931年(昭和6年)11月29日、同志社創立56周年式典の際、アーモスト館の定礎式が行われ、1932年5月21日、アーモスト大学総長より同志社総長(大工原銀太郎)宛に贈られた下記「アーモスト大学からの贈呈書簡」の中に明記されている。

「アーモスト大学からの贈呈書簡」(抜粋)
  拝啓 同志社創立者ジョゼフ・ハーデイ・ニイシマと、最近まで同志社の教員に1人であり、アーモスト大学の学生代表であったスチュアート・バートン・ニコルズとを併せ記念するために、一つの建物を同志社大学に贈呈したいとのわれわれの願望を促進するために、これまで幾度かの機会に分けて総額4万ドルを送付しました。、、、、、、、、我らの願うところは、同志社当局に委託されるこの建物が、アメリカと日本、同志社とアーモストの間の善意の精神を永続させ、増加させるための中心として用いられることである。また、願わくば、この建物が東洋と西洋の文化、思想、理想の共通の場となり、また両国民の相互理解と寛容を増加せしめるための一手段とならんことを。、、、、、、  (出所)「アーモスト・スピリット」

  この書簡は、今も生きており、毎年5月に開催されるアーモスト館開館式典で、同志社アーモスト・クラブ(DAC)委員長とアーモスト大学学生代表によって朗読されている。 なお、アーモスト大学初代学生代表Stuwart Burton Nichols(1900〜25)と同志社創立者新島襄(1843〜90)を記念した「NICHOLS TABLET」と「NEESIMA TABLET」は、太平洋戦争中と云えども撤去されず、現在もアーモスト館の玄関とホールに設置されている。

4.ラテン・アメリカとの付き合い
  卒業後、私は、日本貿易振興会(JETRO)で約39年間勤務したが、この間アンデス山中にあるエクアドルとブラジルの2カ国で計8年間の駐在生活を体験する一方、日本の輸出市場開拓や貿易促進業務等のため、ラテン・アメリカ15国を訪問する機会に恵まれた。
  この中には、ペルーのように10数回訪問する国もあった。 ラテン・アメリカは、1492年のコロンブス(Cristobal Colon)の「新大陸航路発見」によって世界史に登場することとなったが、コロンブス以前には、Azteca、MayaそしてInca文明等が発展していた世界であった。
  その文明は、残念ながら征服者スペイン人によって滅亡されたが、ラテン・アメリカ諸国は、約300年にわたる植民・征服時代をへて19世紀初めに独立した。それ以降も、欧米列強の覇権主義や軍事力支配と闘いつつ、20世紀末になって漸く民主主義国家を樹立した。
  21世に入り、ボリビアではIncaの末裔である原住民が大統領になり、また、ブラジルでは、2011年1月年より、女性大統領が就任した。
  他方、ラテン・アメリカは、日本が貧しかった明治時代より多くの日本移民を受けいれてくれた国々であるが、とりわけ移民100年を迎えたブラジルの日系人は、いまや約150万人強となり、政治、経済のみならず、教育・法曹等の幅広い分野で活躍している。 
  私の子供時代の小さな夢はラテン・アメリカで実現され、また、同志社で学んだスペイン語もラテン・アメリカで活用する機会に恵まれた人生であった。
(「私の国際交流」会ニュース”Cross Culture” No.11,2010年12月1日から転載)
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