エッセイ

人生変革

大石直人(経済学部 4年)

  僕は大学に入るまでサッカー一筋だった。いわゆるサッカーの名門校というところでサッカーをし、ユースの日本代表でもプレーすることもあった。
  高校二年生の後半からから怪我をよくし始め、試合に出れなくなった。高校最後の試合は怪我でベンチにも入れなかった。そのときに僕は今までの人生はなんだったんだろう、と考え、サッカーを嫌いになり、やめようと決めた。しかし、15年間も続けてきたサッカーだ。簡単にはやめれなかった。サッカーをしないことで自分を責め、拒食症になるほどであった。そんなとき、知り合いでドイツでずっとサッカーをしている人が僕に連絡をしてきた。「今何してるんだ?サッカーしにドイツに来ないか」と。もちろん非常に悩んだ。しかし、とりあえず行ってみようと思い、行くことにした。しかしながら3カ月近くサッカーをしていなかった身体だ。うまくいくはずがなかった。いろいろなチームのセレクションを受けた。しかし何も通用しなかった。悔しくて仕方がなかった。そして、こんなとこでサッカーをやめれないと思い、サッカーを続けることを決めた。一度日本に帰り、大学に通い始め、そして大学のサッカー部に入り、練習をした。ドイツで見返すために。そして6月にもう一度ドイツにセレクションを受けに行った。セレクション前にはやはり馬鹿にされていた。身体が小さいことから、「子供のセレクションはあっちのグランドだ。」とまで言われた。でも仕方がない。このチームはKarlsruheといってドイツでも名門のチームのため、ヨーロッパのいろいろな国の人も受けに来るほどだ。しかし、その中でもなんとかセレクションに通ることができた。この日は5,60人いて受かったのは僕だけだ。本当にうれしかった。そしてU-19のKarlsruheのチームに入ることを決めて、日本に一度ビザを取りに帰り、もう一度ここでプレーするはずであった。
  大学も夏休みになり試験のテストもすべて終え、ビザもとり、とりあえず一年間休学し、ドイツに飛び立った。しかし、ドイツに着き、このチームのところに来たらなんと、そんな契約をした覚えがないと言われた。僕はこのチームでサッカーをし、寮にも入れてもらい、少しのお金も貰いながら生活するはずであった。しかしすべてが消えていった。仕方ないので知り合いがいる町に行き、ホステルに泊まりながら、他のチームを探すことにした。そしてどうにかこうにかでAnsbachという街のチームに入れることが決まった。しかしながら小さい町のチームだ。寮はないし、もちろんお金も貰えない。そのため自分でアパートを探さなければならなかった。しかし僕はバカだ。サッカーしかしてきておらず、英語などまったく分からない、ドイツ語なんてもっと分からない。そのため簡単には見つからない。そのためホステルに当分泊らなければならなかった。しかしこのホステルはひどかった。一番安い部屋に泊っていたのだが12人部屋で毎日人が変わっていく。いわゆる部屋というよりベットを借りるというシステムだ。ここに最終的に2ヶ月間泊っていたのだが、いろいろなことがあった。まず、いじめ。これはある国の大学生のグループが来ていたときであった。とにかくいろいろ盗まれる。下着から服様々なものを盗まれた。サンダルの片一方だけを取って行ったりもされた。耐えるに耐えきれず、返してくれと、英語で部屋に紙を張り付けた。ホステルに帰ってき、なんとパンツが一枚ベットの上に置かれていた。しかし、小便付きだ。泣きたかった。他にもサッカーの練習が終わり帰って、シャワーを浴びたいが冷たい水しかでないし、みんなが寝ている部屋だ。そのため音を立てることもできない。そのためそのまま寝、次の日の朝にシャワーも浴びることもよくあった。そのシャワーも髪の毛が詰まっていて、シャワーを浴びているような気もしない。
  ある日朝起き、おなかが減っていたため、スーパーに買い物に行った。こっちで買い物するときは自分の買い物袋を持っていき、その中に商品を入れ買い物をする。僕も見習いそのようにしていた。レジに行きいつものように買い、レジを出たとこ、がたいのいい人に止められた。よくわからなかったが、買い物袋を開けレシートを要求されすべて見せた。そしたらなんとハムが買い物袋の隅にあったらしい。つまり買えていなかったのだ。スーパーの裏に連れてかれ、何言ってるか分からないが、そのあと警察が来て、パトカーに乗せられ、警察署に向かった。要するに万引き犯としてされてしまったのだ。事情聴取みたいなのをさせられたが、何を言ってるのかさっぱり分からない。そのためこの街の日本レストランにいる日本人に通訳をしてもらうため、パトカーで日本人がいるレストランを探しに行った。しかし日本人が本当にやっている日本料理屋は少ない。やっと五軒目のところに本当に日本人がやっている日本料理レストランを見つけた。そこにはこの街で長いこと住んでいる日本人の女の人がいた。その人に事情をすべて話し、どうにかこうにかで警察から出ることができた。
  この女の人は何十年も前にドイツに来ており、ドイツ人と結婚している人だ。警察のことでお世話になった時に携帯の電話番号を交換していた。なにかあったら電話してと言ってくれていた。ある日電話がかかってき、コーヒーでも飲まないかと誘ってくれた。そして、アパートのことなどサッカーのことなどいろいろ話した。そしたら使ってないアパートがあるからそこを使えばいいと言ってくれたのだ。しかし、今は使える状況ではないから、とりあえず家に来なさいと言ってくれた。そしてやっとの思いで、ホステルを出ることができた。
  この家は非常に大きい、一階にはこの女の人が住んでおり、2回にはこの女の人の息子さんと娘さんの家族が住んでいた。僕はこの娘さんの家族のところで一ヶ月間お世話になることになった。娘さんはいわえるドイツ人と日本人のハーフだ。そして少しだけ日本語が話すことができる。この家族には娘さんの夫さんと子供が二人いた。僕は子供達とサッカーがない時はいつも遊んでいた。このときこの子たちは3歳と1歳だった。すごいかわいかった。そして僕のドイツ語の先生でもあった。さすがに1歳の子はまだ喋れてなかったが、3歳の子はもう喋れていた。僕は全然ドイツ語を分からなかったがこの子はいつも、「これは机」などと言って教えてくれた。そしてこの1ヶ月間でなぜか少しドイツ語が喋れるようになっていた。しかし覚えていた言葉が赤ちゃん言葉だった時もあったが・・。しかし本当に良い時間を過ごすことができた。
  サッカーの方はというと、ドイツで外国人パスをもらえるのに2カ月程掛った。そのためこの間は試合には出れなかったのだ。しかしパスがで、最初の試合で10番という大役を貰った。僕はこの試合はただの練習試合だと思っていたが、ドイツカップという大きい大会の1試合目だったそうだ。このことは試合が終わってから気づいた。そしてこの相手チームがなんと初めてドイツに来た時にセレクションを受けバカにされたチームであった。そして相手チームの10番はU-19ドイツ代表の選手であった。そのためかなり燃えていた。しかし、日本人にいきなり10番を渡されてチームメイトも黙ってはいなかった。なんと試合に出ないと言い出していたようだ。しかしながらどうにかして試合ができた。この試合は一生忘れられない試合となった。最初はチームメイトは僕にパスを回してくれなかったが、僕の気持ちが通じたのか途中からパスをまわしてくれるようになった。途中から観客の人も僕のことを応援してくれるようにまでなった。僕も今までのなかで最高のプレーできたと思っている。結果はPK戦にもつれ込み勝利を勝ち取ることができた。最高の気分だった。次の日の地元新聞にはこの試合のことが書いてあり、写真が載っていた。サッカーを続けてよかったと思った。セカンドシーズンでは得点王にもなることができた。そして帰る前にも契約延長とお金ももらえることになったが、僕は帰ることを決めた。
  いろいろなことをドイツで経験して、生きることに精いっぱいしながら暮らし、サッカーが人生のすべてではないと気付いたのだ。日本にいるときはサッカーに対して過剰な気持ちをもっていた。例えば、油ものは食べない、お酒はもってのほか炭酸も飲まないとか。個人練習を誰よりも多くやるとか。でもドイツに来てこんな自分がバカバカしく思えるようになった。ドイツ人は例えば試合が終わって勝っても負けてもビールを飲む。勝った時はお祝い、負けた時は忘れるために。他にも個人練習をやっていると監督にやりすぎだと言われた。「個人練習する力があるならもっと俺のやっている練習に尽くせ、俺を信じろ!もしやるとしても15分以上はするな。身体が疲れる。」と。日本では個人練習をすることがアピールの一つでもあったが違ったようだ。そしてこうも言われた。「オフの時はサッカーのことを考えるな。お前は考えすぎだ。」そして監督にディスコにまで連れてかれたほどだ。そしてこのように僕はサッカーをやり、本当に成長することができた。そして帰るときには達成感も感じていた。それよりももっと監督、チームメイト、友達と話せるようになりたいと思っていたのだ。そして帰ってから、サッカーを趣味としてだけするようになりドイツ語を勉強し始めた。
  今は交換留学生として、Tübingen大学に来ている。もう今月末には日本に帰らなければならない。サッカーをすることによってたくさんの友達ができた。しかし他にもたくさん言葉を話し、一生の友達ともいえる友達もできた。今がすごく楽しいし、幸せだ。もちろんサッカーは今でも僕の宝物だ。しかしこれだけではない。これを教えてくれたのもサッカーだ。そしてこのドイツだ。僕はこれからもサッカーで友達を作りながら、いろいろな言語を学びいろいろな人と話せるようになれるようにやっていこうと思う。

大石、前列右端、バイエルンミュンヘンに勝った試合の後
inserted by FC2 system