国際交流の旗手

Mygdalskyy Volodymyr(ミグダリスキー・ウラディーミル)

1972年生まれ、男性、ウクライナのオデッサ市出身、ウクライナ国籍、
在日暦 11年、数学修士(オデッサ国立大学)、京都大学博士(情報学)
現在 同志社大学法学部嘱託講師
原典読書 「ロシアの法と政治」、数学1・2、確率・統計1 担当、
        日本語能力試験1級、ロシア語通訳協会 会員、
フリーランス派遣通訳者・在宅翻訳者(ロシア語、ウクライナ語、英語)

  日本は多くの国の若者にとって、近代化され経済が発展し政治も安定した「憧れ」の地である。日本で教育を受けるという事は、かつて日本人が西洋諸国に憧れを抱き維新の手本としたように、その機会を手にすべく日夜学業に勤しんでいる学生が多い。事実、私がその一人であり、日本政府の奨学金を手にし「憧れ」の日本の地を踏んだ時の感銘は未だ忘れられない。この貴重な機会を与えられた者が、日本留学の機会を自己満足だけに終わらせず、その背後にある使命や国際交流の役割りを留学生に自覚させ、いかに学業の遂行と日本文化の理解および日本人との交流の推進をするかは、益々流動化する国際交流の一環である留学生教育の重要な課題だと考える。
  私自身の経験を振返ってみると、来日するまで想像していた日本と実際暮らし始めた日本は、やはり違うものが多かった。それは、私の期待を裏切るものでもあったし、期待以上のものでもあった。母国ウクライナのオデッサ市で日本からの観光客や学生をホストファミリーとして受け入れたり、横浜市との姉妹都市交流に貢献したり、事前に日本語と日本文化に精通しているつもりではあったが、あまりにも米国文化に踏襲している現代日本の目覚しい変わり様にはいささか「日出ずる国」の面影すら見られず落胆してしまった事もある。しかし、それも現実の日本であり、日本語の端々に表れる奥ゆかしさや「詫びる」という姿勢はやはり古来から続く日本文化であり、どこまで行っても廃れる事のないものであるという事を発見した時、私は深く感動した。この気持ちに至るまでには、それなりの時間と日本人との接触が必要で、私の留学期間は主に既存の日本像の再構築に費やされたと言っても過言ではない。
  来日する学生の多くは自分なりの「日本像」を持っており、多かれ少なかれ、目の前にした日本とそのギャップに戸惑う経験をすると思われる。
  ひとたび自分の中の「日本像」と現実ニッポンとのギャップに落ち着くと、私の場合、本当の日本をもっと知りたい、私の事をもっと知ってもらいたいという気持ちになりました。
(〝Cross Culture News〞No.10 < 5月14日発行>から転載)
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