国際交流

ふるさとの国際交流:内モンゴル、中国

砂漠から建てられた奇跡

劉  丞(経済学部 3年)


  私の故郷は中国の内モンゴル自治区のある都市オルドスです。オルドスはモンゴル語の多くの宮殿という意味です。大昔チンギスハーンが西アジアを遠征する時オルドスの美しい風景を感動させオルドスを自分の陵墓地を選びました。
  しかし近代になってからオルドス地域は戦争や気候変動などの原因で、生態環境がひどく破壊されました。沙漠化の進行は深刻です。全世界をめぐると、沙漠化の影響を受けている土地は36億haで、全陸地の25%に相当します。また、全人口の6分の1に当たる約9億人が影響を受けています。沙漠化は、農地や牧草地に影響し、食料生産の減少を引き起こします。
  食糧供給の悪化は、飢餓・貧困、難民発生、それによる政情不安などを引き起こし、深刻な問題へと転じていきます。地球が生命を宿す星として存続するためには、森林の消失、沙漠化の進行をくい止めなければなりまん。内モンゴル最大の砂漠クブキーがオルドス地域を横断し、オルドス域内の砂漠は恩格貝といいます。
右が遠山先生
写真は http://okinawaking.ti-da.net/d2009-02.html より
  モンゴル語ではめでたい兆し、安全の意味を表します。1950年代、遠山正瑛、(昔鳥取大学名誉教授、農学博士)は留学生として、中国に訪れてきました。当時のオルドスは貧しくて、砂漠化が深刻でした。遠山先生はこれを目にし、植物を植え、原住民に力になりたい、ひいては世界にとっていい環境を取り戻せたいと誓いました。その後、政治の原因で、中国での植樹の活動は見送れましたが。日中外交関係を結んでから、遠山先生は新聞や雑誌のインタビュー、テレビ出演、セミナー出席などに奔走し、砂漠の開発・整備事業のPR活動を行ったり、砂漠緑化のために精力的な募金活動を展開しました。1990年、遠山先生は再び内モンゴルの砂漠へ訪れました。志願者を引き連れ、毎日10時間で植樹を行いました。1995年、100万のモウハクヨウを植え、1998年200万のモウハクヨウを植え、驚かせることに、2001年に300万のモウハクヨウを植えることになりました。遠山先生の呼び掛けにより、10年間で335チーム・6600人余りが日本から恩格貝に赴き、中日友好のシンボルとなる樹木約300万株を植えました。今現在モウハクヨウの数は340万株に達しました。
  遠山先生の貢献を称えるため、内蒙古自治区政府は「栄誉公民」の称号を授与し、国連の顕彰〜「人類に対する思いやり市民賞」をうけることになり、中国の総理、江沢民、李鵬などと会見することもなりました。遠山先生の精神は人々に感動を与え、人々から尊敬を勝ち取りました。90歳の高齢でありながら、砂漠化防止を世界平和に通じる道だという考えは変えません。遠山精神と砂漠は消えません。しかし、世界環境に取り組む人々さえいれば、遠山精神は永遠に存続でき、砂漠はいつか消えるでしょう。
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