国際交流の旗手

『顕彰活動がもたらす良心教育』

      ―岩手から無名の同志社先人発掘と感動―

佐藤孝悦(1967年卒)

  ここで紹介する4人の先人はすべて岩手県出身、同志社で学んだキリスト者である。共通していえることは、地元岩手人に殆ど知られていなかったということである。
  淵澤能恵(フチザワ ノエ、1850〜1936・花巻石鳥谷町出身)、片桐清治(カタギリ セイジ 1856〜1928・奥州市出身)、山崎為徳(ヤマザキ タメノリ、1857〜1881・奥州市出身)、片桐 哲(カタギリ テツ、1888〜1982・奥州市出身、清治の次男)の4人である。
  片桐 哲は少し後の人だが他3人は、ほぼ同世代で、同じ奥州市出身の後藤新平(政治家 台湾総督)、斎藤 実(元首相)とも交友関係にあったと記録にある。淵澤能恵が教師時代の教え子に斎藤 実の妻・春子がいて、能恵の渡韓後、彼女の支えになったとある。同郷人同士の助け合いは、当時力強い支えとなったと思われる。
  1.   淵澤能恵:55歳で韓国に渡り、韓国女子教育にその後の人生を捧げた。創立100年の名門・明新女学校(現淑明女子大学)の創立者の一人で、現在“韓国女子教育の母”と呼ばれている。不遇な幼少時代を乗り越え渡米、キリスト教に触れ、帰国後同志社に学び、後に教師となり渡韓の機会を得る。日韓関係不穏な時代である。
      1999年、元教師・村上淑子氏が同郷の先人淵澤能恵を始めて知る。知る程に能恵に魅力を感じ、訪韓を試み、その史実を知り、地元石鳥谷町の皆に人間・淵澤能恵を語り聞かせようと決意する。主に小中高校の子供達に話して聞かせた。  役所が動き出した、マスコミも取り上げた、小学生が「能恵の生涯」を劇にして演じて観せてくれた。
      “われらが町に淵澤能恵という偉い先生がいた‥”村上淑子氏は能恵の本を出版、その本を韓国人の岩手県立大学教授・姜 奉植(カン ボンシック)氏の目に留まり、姜教授の翻訳本が韓国で出版されることになった。
      村上淑子氏をはじめ、石鳥谷町の皆さんの顕彰活動が、この10年の間に一気に盛り上がった。子供達、町ぐるみの活動が、全く無名先人の輝く功績を地元に知らしめてくれた。この様な顕彰活動に触れたのは私も初めてで、不安だらけの昨今に爽やかさを投じてくれた。
  2.   山崎為徳:同郷の後藤新平、斎藤 実(2人とも前述)と共に水沢の3秀才といわれ、熊本バンド、開成学校(現東京大学)から同志社に移り新島襄の後継者に目せられるも24歳の若さで病死。15歳頃から英文原書を読みこなし、シェイクスピアを初めて日本に紹介した人物。
      山崎為徳研究家が地元奥州市にいる。高橋光夫氏(元高校教師・85歳)がその人。氏は敬虔なクリスチャンで、宗教著書も多数ある。 2001年2月、同志社大学より「新島襄・功績賞」を受賞、その際“今迄やってきたことが学者の皆さんに認められた。こんな嬉しいことはない」と言われた。間違いなく山崎研究家の第一人者である。
      24年の短い生涯であったために情報資料収集は大変な苦労を伴った。ご遺族、教会関係、同志社等々より集めた資料は相当なもので、しかしその管理は完璧なほどしっかりしたものであった。一昨年、高橋氏は2度病で倒れ、今も療養中である。
      そんな中、氏が山崎の全てを書き遺したいと3年前から地元新聞に「山崎為徳の生涯」を連載、昨年(2009年)9月に完結を見た。この長編が本年3月に出版の予定である。
      書き終えた時の氏の言葉“これで思い残すことはない、山崎のすべてが詰まっている”地元・山崎為徳顕彰会の方々をはじめ、我々も出版記念会を今から楽しみにしている。
  3.   近代化の片桐清治・哲 父子顕彰:父、清治は同志社草創期の新島襄を支え、次男・哲は同志社幕開け、特に女子教育に力を注いだ。清治は地元水沢市(現奥州市)に教会を設立(今年創立125周年を迎える水沢教会)、初代牧師となる。仙台北教会牧師など東北を中心とした伝道活動の生涯を送った。 次男・哲は同志社女子大学長を長く務め、神学者としてヘブライ語の権威者でもあった。一方、有名な男声合唱団「同志社グリークラブ」の生みの親としても知られる。
      片桐父子顕彰碑建立は2007年10月、 同志社校友会岩手支部が主体で、活動6年目の実現であった。懸案だった費用面も全国の同志社人の支援を頂き、立派な碑が出来上がった。10月13日の記念式典には、ご遺族が20名、同志社本部から総長、理事長はじめ沢山の方の参加があり、岩手支部始まって以来の盛会なる式典となった。
      以後ご遺族からの情報では、途絶えていた片桐家の結束が強まり、毎年奥州市の顕彰碑前に集い、懇親を深めているという。校友会岩手支部にとっても嬉しい限りである。
  以上4人の功績は偉大な足跡を残し、同志社校祖・新島襄の“良心教育”の礎にあり、今に伝わっているものと思う。教育の計は100年とも200年ともいう。一歩一歩が大切であって、そこに“ブレ”があったり後退があってはならない。先人の思いを伝承していくことに顕彰活動の意味があり、若者への教育にも繋がるものと思う。今回4人の顕彰活動に子供、若者たちが加わっていることに注目してもらいたい。必ずや彼らの胸にこの4人の先人の心が宿っているに違いない。ほとんど無名だった4人、後世に名を残す“野心”など無かったに違いない。だからこそ無私で偉大な先人といえる。
  この度の顕彰も10年ほど前から活動したのだから、天上の4人の先生たちもひょっとして苦笑いしておられるのかもしれない。どうぞいつまでも見守っていて下さい。

(「私の国際交流」会“Cross Culture”ニュース:2009年12月3日から転載)
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