特集 スポーツ まとめ

スポーツ論評

塙 大輝(経済学部 4年)

  先日の世界陸上ではウサイン・ボルト選手が100m、200mにおいて世界新を記録した。 世界中が見守る中で、極度のプレッシャーに耐えながらライバルを退き、期待を上回る走りを見せた姿に誰もが感動したことと思う。この単純な感動にこそスポーツの本質がある。
  今回はスポーツをテーマに様々な国の視点から記事を取り上げてきたが、「スポーツとは 何か」という問いに対してこれだという答えはない。それぞれの記事を見てわかるとおり、スポーツへの取り組みや考えは各国の国民性によって違うのである。
  スペインではスポーツ(特にサッカー)が宗教のように心の拠り所とされ、時には政治よりも重要なものとなる。内モンゴルでは高い危険性の中で相撲(博克)が行われ、優勝者が戦国の武将のように尊敬される。また、中国のように受験教育に力点を置く国では受験生と体育生徒に二極分化される傾向がある。ここ日本はというと、武士道精神の延長なのだろうか、スポーツ=心身の鍛錬という意識が強く、特に部活動においてそれが垣間見られる。
  スポーツと経済情勢という視点から見ると、テニス人口が景気に左右されるところから、スポーツの発展と経済との関係性は強く、また先進国と途上国では盛んなスポーツが異なることが伺える。
  では、スポーツにおける世界共通の概念とは何か。それは感動である。すなわち喜びや楽しさ、悔しさが国境を越えて、言語の壁を越えて共有できることである。だからこそ国際社会である現在、さらにそれが進む未来においてスポーツが果たすべき役割は大きい。韓国のシャイな少年のように、一つのボールによって国境を越えて多くの友を得ることができたり、時には紛争の解決の手段となり得たりもする。
  この世界共通の概念をふまえて、E-スポーツやチェス、囲碁のような身体を動かさない競技がスポーツにカテゴライズされているところを見ると、数学を始めとする学問や音楽もスポーツと呼んでよさそうだ。数学は世界共通の言語であって、国を挙げてその研究や発展を競いながらも成果を共有しているし、数学オリンピックなる大会も存在している。音楽に至ってはとうの昔から国境を越え、旋律という名の感情の起伏を共有してきた。
  世界陸上のように0コンマを争うシビアなスポーツもあれば、そもそも甲乙をつけないスポーツもある。ただ、遊びにも真剣さがなければ楽しくなれないように、スポーツにおいても真剣さや能動的な姿勢は大切である。なぜならその真剣さの中に国境を越える感動があり、それを得てこそスポーツの本質に触れることができるのだから。
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