特集 スポーツ −3

日中学生の部活動の比較

周 巍巍 (商学部4年)

  スポーツには壁がないとよく聞くが、どこの国でもスポーツの仕組みが同じであるというわけではない。日本に来てから、最も中国と異なって、最も驚かされたのは日本のスポーツ部活動のことである。
  「受験教育」と言われているように、中国の学校教育は大学受験に究極に重点を置いてきたと言えよう。将来、社会に役に立てる人材育成というよりも、人口が多いだけで、厳しい競争に勝ち抜き、生き残っていくために、より高いレベルの大学に入学することに学生たちが専念している。より高いレベルの大学に入るために、高校、中学校、小学校、そして幼稚園までなるべき高いレベルの教育機関を追求することは常識のように思われている。小学校入学してから高校卒業するまでの12年間、勉強だけに集中するというあまりの残酷さに負けてしまう学生がたくさんいる。学習成績以外に学生が評価されるものがない。学校では音楽、体育といういわゆる一般教養科目については、きちんと行われずに自習タイムに使われたり、主要科目に使われたり、記憶の中にはよくあった。
  高校まではサークルは言うまでもなく、部活でもあまりなかった。何人か部活をやっている知り合いについて、勉強がほとんどできなくて、学校に学校の名誉のために、試合に出て、戦うことに使われていた。そういう学生が「体育生」と呼ばれ、いいか悪いかを別に、とにかく勉強ができないというのは確実である。本人も「体育生」であるうえで、勉強する気にもならないし、厳しい訓練に学習の時間が奪われて、ますます勉強ができなくなっていく。高校まではスポーツ推薦で行けたが、大学レベルになると、全国の「体育生」の間の極めて厳しい戦いになるので、大半の「体育生」が大学に進学できなくなるのである。というのが僕の母国である中国の特有の「受験教育」制度によって、生まれた部活動の状況である。(今はある程度変わってきたと思うが、僕の高校時代がこういった状況がしばしば見られていた。)
  よって、日本に来る前に、僕はあまり部活についていいイメージを持っていなかった。日本に来て、特に大学に入って、部活で一生懸命に頑張っている日本人学生の姿を見て、感動されたこともある。多くの日本人学生が小学校から学習と共に、何らかのスポーツをやっていることが分かった。遊び感覚ではなく、本格的にやっている学生がほとんどであった。部活動は自己の個性や能力を発見し、伸ばすこともでき、自主的、自発的に行動を取る態度や習慣及び責任感を養うこともできる。部活は人とお互いに協力し助け合い、社会的に豊かな性格を作る場にもなっている。身体的及び精神的に強い意志のある人間の育成、礼儀の正しい人間の育成に、部活が大きな役割を果たしている。
  部活精神が現在の強いニッポンに繋がったと言っても過言でもないと思う。
中国留学生のバスケットボールチーム「A MAN」    周:後列、中央
inserted by FC2 system