国際交流の旗手

―同志社大学における日本語教育を通して―

 平 弥悠紀 ( ひら  み ゆ き    ) (日本語・日本文化教育センター教授)

  1999年4月に同志社大学留学生別科が設立され、別科の専任教員となりました。「別科」が何を目指してどう進んでいくべきなのかも見えないままにスタートしてしまったというのが正直なところですが、別科で日本語を教えることが私の国際交流の始まりでもありました。先生方と協力して、まず今日の日本語の授業を少しでもよいものにしようと、ありとあらゆる工夫を重ね、そうしているうちに、徐々に目標が見えてきました。同志社大学留学生別科を「世界一の日本語教育機関にしよう!」と。教授法と教材研究を徹底して行い、「洗練された上品な日本語の習得を目指そう!」という合言葉もできました。
  年一度の社会見学も、知的障がいをもつ方たちの施設「止揚学園」を訪問し、老若男女、障がいをもつ者ももたないも者も、さまざまな国の者が同じテーブルを囲んで食事をともにする「真の平和」を体験する貴重な時間となりました。心の声を聞くこと、目に見えないものに心を留めることの大切さを学び、同志社でしかできない教育を行って、「すべての者が共に生きていくことのできる優しい21世紀を創り出すことのできる人材を同志社から世界へ送り出そう!」と、私自身の同志社での使命を確信し、夢は更に大きなものになっていきました。
  夢中で過ごしたこの10年間は、一言で言えば楽しいものでしたが、留学生の教育には、日本人学生の何倍も手がかかるのも事実です。異文化の中での戸惑い、生活上の悩み、学習や進学の問題を抱えていたり、逆に、留学はしたもののこれから何をしたらよいのか目標が見つからなかったり、何のために日本に来たのかさえもわからなくなってしまう学生もいて、真剣に応えようとすればするほど、個別に対応するしかないわけですが、一人一人と向き合い、学生たちの心の声を聞き、将来の夢を共に見るとき、国を越えて、世代を超えて、全てをこえて心の触れ合ううれしさを知ることができたように思います。時間と労力がかかりますが、与えれば与えるほど豊かにされていくことも実感できました。本当に留学生から多くのものをいただいたと感謝しています。
  地の利を生かした独自の文化体験授業も形を整え、日本語と日本文化の授業がよりよいものになっていくにつれて、世界中からより多くの学生たちが別科に入学してくるようになり、日本語・日本文化教育センターとして、同志社の日本語教育を担う組織となり、更に大きくなりましたが、私を必要としてくれる留学生たちのために自分の賜物を用いたいという気持ちを大切にして、今この時、目の前にいる学生たちに心を込めて接する者でありたいと願っています。将来世界を舞台に活躍する学生たちの成長した姿を心の中に思い描きながら…。
  (“Cross Culture News No.8” 2009年5月18日から転載)

左端、平先生
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