異文化経験アンケート(100人以上)の評論1

大竹佑奈(政策学部 2年)

  私は日本が好きである。日本人の繊細な感情や心の機微が創り出した日本独自の文化に触れる度に私は感動する。中学生の頃、初めて万葉集や古今和歌集の和歌に触れたときの深い感慨は今でもよく覚えている。花鳥風月や恋、季節など、身の回りのふとした瞬間を切り取り5・7・5・7・7の流れに言葉を乗せる。時には韻を踏み二重に意味を含ませたり、あえて隠喩してみたり。季節やその瞬間の心の機微を言葉巧みに歌にのせ感情や愛を伝えるなんて、なんて素敵な文化ではないだろうか。古人の粋な遊び心や心の繊細さには敬服せずにはいられない。
  と、日本が大好きな私であるが、だからといってほかの国々の文化や歴史を下に見ているというわけではない。どの国にもその風土で生きてきた人々の生活や言葉、歴史的背景など長い年月をかけて培われてきた文化が存在する。そのように創り上げられたその国独自の文化や習慣というものは甲乙つけることは不可能であり、どの文化も必然性によって洗練されている。そうなるべくして独自の文化が生まれたのだ。そしてその風土で営みを繰り返してきた人々の祈りや喜び、悲しみや怒りが込められた文化は有無を言わせぬ圧倒的な力がある。そしてある時はその美しさが感動をおこす。私はフランスで初めてノートルダム教会を見たとき、何世紀にも渡ってキリスト教文化が創り出した装飾の美しさや壮大さに思わずため息がでてしまった。人々が長い年月をかけて生み出した文化はどれも特質的で美しい。

  しかし自分と違う文化をもつ人間に出会った時(ここでいう異文化体験を身近で感じる時)、というのはたいてい感動や美しさを感じることよりも驚くことではないだろうか。実際、アンケートを見ても“〜に驚いた”という回答が非常に多い。このアンケート結果を見て周さんと少し意見がかぶってしまうのだが、日本人学生の意識の低さが垣間見えた気がする。“〜に驚いた”からどう考えたのか、そこから何を見出したのか、という意見が非常に少ない。せっかくの異文化を体験したのに驚きや戸惑いという感情レベルで終わってしまってはもったいない。これに関連するのだが、日本人学生は目標や未来を明確に描いている人が少ないと感じる。一方で海外の学生は明確な未来のビジョンを持っているひとが多い。一定の年齢になれば会社を起業する!私はこれがしたい!などしっかりした未来像を描いている人が割と多いように思う。このような我々の意識の低さは、どこの国の支配下に置かれることもなく、多くの国々が革命を起こして勝ち取った権利や自由を他国から与えられた、ある意味日本独自の文化からくるものなのだろうか?

  自分と異なる文化をもつ人間と出会った時、自分と同じ文化を共有する人々だけの集団では気付かなかったものが見えてくる。例えば私が上記で述べた日本人の意識の低さなどである。このことは日本人だけで生活していたら気づくことは難しかっただろう。異文化体験というもので自分と異なる文化や人間を見て、見えなかった自分に気づく。相手との違いを認識、理解し、そこから自分についても理解する。何を発見するかは人其々であるが、この記事が “気づき”を感じるきっかけになったら幸いである。

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