国際交流の騎手3

大学時代の国際交流を通じて

今村真利子(2009年 政策学部卒業)


元気いっぱいの子供たち

  私は大学時代の4年間、アイセックという海外インターンシップを運営する学生団体に所属していました。このアイセックという団体は、世界100の国と地域に存在しているので、活動していると国籍もバックグラウンドも関係ないことも多々ありました。私はこの4年間で海外から日本にインターンシップを経験しに来た計10カ国からの研修生と出会い、国際会議参加のためにデンマーク、トルコ、さらに現地メンバー訪問のためにフィンランドとスウェーデン、ブルガリアを訪れました。この学生時代の経験の中でも、特に思い出深かった、ブルガリアでの話を今回はお伝えしたいと思います。

ブルガリアでの経験
  2008年11月16日、フィンランドからドイツで乗り換え、4時間かけてブルガリアの首都ソフィアに着きました。着いたらブルガリアのアイセックのOBであるダンチョが迎えにきてくれていました。ガイドブックも何も持っていなかったのでひとまず安心しました。彼はとても純粋そうで、笑顔も素敵だったのですが、ほとんど英語が通じないのには困りました。それでも言葉の通じない国でのお迎えはとても助かりますし、心強いです。
  そのまま市内の銀行に行ったがそこも英語が通じる様子がなく、全部ダンチョが通訳してくれた。本当にこういう出迎えはありがたい。アイセックを通じて、現地のアイセックメンバーにはいつもお世話になっている。


大学の寮にて(中央が今村)
    バスで3時間半かけて、私たちの大学から送り出した研修生、ゆきの住むSvishtovに到着。着いて早速いろいろ話していると、『今日たまたま町で知り合ったブルガリア人たちとパーティーがあるみたいんだけど、行く?』と言われて、せっかく来てすぐ寝るのももったいないと思ったので、行くことにした。その日に知り合った人とも普通に遊びに行く文化らしい。と言っても、この町の人口3万人の内半分は学生だし、小さい町なので治安はかなりいいみたいだ。
    待ち合わせ場所に行くと2人の男の子が待っていた。一緒にタクシーで彼らの住む寮に着くと、3人部屋の部屋に通された。変な匂いがしたけど、それよりベット3つ同じ部屋にある中で住んでいるのかと思ったら、プライベートが全くなく、こっちの学生は大変だなと思ってしまいました。そこからパーティーが始まった。最初はお菓子やお酒を楽しみながら思い思いに踊る感じでしたが、次第にテンション高くなった人から椅子の上で踊りだしました。こっちでは普通らしいです。普通の寮の一室でこれだけ大音量でパーティーなんて日本では考えられません。しかし、彼らのほとんどは英語が通じないので、踊るしかないという状況でした。初日にしてブルガリアの若者文化を体験した私ってラッキーでした。
    翌日の17日、ゆきと研修先の学校に行きました。彼女は市内の2つの学校で日本文化や英語について教える、という研修を行っている。ほぼ毎朝寄っているというパン屋さんでパンをほおばり、タクシーで学校に向かいました。パンも100円以下なのにかなり美味しいです。更に驚きなのはこっちのタクシーはめちゃくちゃ安く、150円ぐらいで学校に着いてしまった。これなら確かに毎日使ってもバス代より安い。
    学校に着くと、ダイアナがあいさつしてくれた。彼女はゆきと一緒に働く英語の先生です。彼女は慣れた様子で授業を始めました。学生の意見を聞いたり、自らの意見を言ったりとするうちにあっという間に45分間は終了。休み時間になると、廊下中に「ゆき〜、ゆき〜!」と歓声がわきます。この町に外国人はほぼ在住しておらず、更にアジア人はとても珍しいようだ。もちろん、ゆきのキャラクターもあるだろうが、本当に彼女の人気ぶりには驚いた。

ブルガリアの典型的なお昼ご飯
    この日は昼休みにゆきと近くのレストランに食べに行きました。本当にご飯、パンともめちゃくちゃ美味しい。ご飯だけならブルガリアでも暮らしていけそう、と思いました。ゆきもほぼ毎日この食堂に食事に来ているらしいが、まずい食べ物に未だ出会った事がないらしい。

後ろに見える川がドナウ川、森はもうルーマニア:右が今村
    その日の授業を終え、ドナウ川に散歩しに行った。なんと、ゆきの寮からはドナウ川が見える。すぐ隣はルーマニアだ。
    ゆきがブルガリアに来てびっくりしたことは、あまりにも時間にルーズなメンバーたちである。彼女たちはそれでいてマネージメント能力を向上させてビジネスに活かしたい、と語っているらしい。アイセックとの理念とのギャップに驚きつつも、それは大きな組織になればなるほど発生するものだし、常に冷静な視点を持ち続けないとゆきは考えているらしい。

アイセックの経験
    私が見た限り、この委員会のアイセックメンバーはフレンドリーだし、頑張っているのは分かる。他の大学生のようにパーティーばっかりしている子達よりはなんとか今の現状を変えようとしているのだろうけど、やっぱり国民性や国の経済状況によって、その国の組織(アイセックという学生団体)も実態が変わってくるんだろうなと本当に実感しました。ブルガリアはEUに加盟したものの、EU最貧国で経済も不安定です。大学を出ても、ウエイターの仕事しかないかもしれない、いい仕事につこうと思ったらコネがいる、そんな、彼らにはどうしようもない現実があるとき、果たしてアイセックはどこまで理想とのギャップを埋める力があるんだろうかと考えました。国際会議の参加費だって、学校の先生の1ヶ月分の平均給料額を超えている。先生も生活が苦しいから、仕事を2つ、3つ掛け持ちしているのも珍しく無いし、EUの違う国に出稼ぎにだって行く。少しでも普通の大学生とは違うキャリアを築かないと、仕事がない。でも緊張した状況なのだか、そうそうじゃないのか、アイセックのメンバーの言動を見ていると、ゆきは疑問符が残ってしまったそうです。もはやアイセックのメンバーが悪いとかそのようなレベルではないんだろうけど、国民性と一言で片付けるには軽すぎる気もする。そして、自分のアイセックの過去の活動についての不十分さにも反省しました。
    その後、アイセックの理想と現実のギャップとか、自分がアイセックという組織で過去にどんな経験をしてきたか、ゆきと話した。私たちが一年生の時に同志社大学で受け入れたトルコ人の研修生が、自分たちがあまりに放置しすぎて悲しそうに帰国したこととか、自分の意識が低かったことで担当していた研修生が契約解除してしまったこととか。
    本当に人の人生を左右させるような決断に立ち会うことに、自分はすごく責任を感じました。それと同時にアイセックという国際的な団体ならではの、不完全さにもこれから立ち向かわなければいけないことに責任を感じました。
    アイセックという国際的な団体に所属したことで、多くの人たちと出会いました。この経験はかけがえのない、私の財産です。ブルガリアでの学生時代最後の海外旅行では、そんなアイセック入会の原点を思い出させてくれました。これからも、国籍や立場が違っても、相手を尊重できるように社会でも成長していきたいと思います。

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