私は大学時代の4年間、アイセックという海外インターンシップを運営する学生団体に所属していました。このアイセックという団体は、世界100の国と地域に存在しているので、活動していると国籍もバックグラウンドも関係ないことも多々ありました。私はこの4年間で海外から日本にインターンシップを経験しに来た計10カ国からの研修生と出会い、国際会議参加のためにデンマーク、トルコ、さらに現地メンバー訪問のためにフィンランドとスウェーデン、ブルガリアを訪れました。この学生時代の経験の中でも、特に思い出深かった、ブルガリアでの話を今回はお伝えしたいと思います。
ブルガリアでの経験
2008年11月16日、フィンランドからドイツで乗り換え、4時間かけてブルガリアの首都ソフィアに着きました。着いたらブルガリアのアイセックのOBであるダンチョが迎えにきてくれていました。ガイドブックも何も持っていなかったのでひとまず安心しました。彼はとても純粋そうで、笑顔も素敵だったのですが、ほとんど英語が通じないのには困りました。それでも言葉の通じない国でのお迎えはとても助かりますし、心強いです。
そのまま市内の銀行に行ったがそこも英語が通じる様子がなく、全部ダンチョが通訳してくれた。本当にこういう出迎えはありがたい。アイセックを通じて、現地のアイセックメンバーにはいつもお世話になっている。
アイセックの経験
私が見た限り、この委員会のアイセックメンバーはフレンドリーだし、頑張っているのは分かる。他の大学生のようにパーティーばっかりしている子達よりはなんとか今の現状を変えようとしているのだろうけど、やっぱり国民性や国の経済状況によって、その国の組織(アイセックという学生団体)も実態が変わってくるんだろうなと本当に実感しました。ブルガリアはEUに加盟したものの、EU最貧国で経済も不安定です。大学を出ても、ウエイターの仕事しかないかもしれない、いい仕事につこうと思ったらコネがいる、そんな、彼らにはどうしようもない現実があるとき、果たしてアイセックはどこまで理想とのギャップを埋める力があるんだろうかと考えました。国際会議の参加費だって、学校の先生の1ヶ月分の平均給料額を超えている。先生も生活が苦しいから、仕事を2つ、3つ掛け持ちしているのも珍しく無いし、EUの違う国に出稼ぎにだって行く。少しでも普通の大学生とは違うキャリアを築かないと、仕事がない。でも緊張した状況なのだか、そうそうじゃないのか、アイセックのメンバーの言動を見ていると、ゆきは疑問符が残ってしまったそうです。もはやアイセックのメンバーが悪いとかそのようなレベルではないんだろうけど、国民性と一言で片付けるには軽すぎる気もする。そして、自分のアイセックの過去の活動についての不十分さにも反省しました。
その後、アイセックの理想と現実のギャップとか、自分がアイセックという組織で過去にどんな経験をしてきたか、ゆきと話した。私たちが一年生の時に同志社大学で受け入れたトルコ人の研修生が、自分たちがあまりに放置しすぎて悲しそうに帰国したこととか、自分の意識が低かったことで担当していた研修生が契約解除してしまったこととか。
本当に人の人生を左右させるような決断に立ち会うことに、自分はすごく責任を感じました。それと同時にアイセックという国際的な団体ならではの、不完全さにもこれから立ち向かわなければいけないことに責任を感じました。
アイセックという国際的な団体に所属したことで、多くの人たちと出会いました。この経験はかけがえのない、私の財産です。ブルガリアでの学生時代最後の海外旅行では、そんなアイセック入会の原点を思い出させてくれました。これからも、国籍や立場が違っても、相手を尊重できるように社会でも成長していきたいと思います。